寺山修司さんの映像感覚
2009年 01月 30日
詩人の谷川俊太郎さんと久し振りに食事をすることになっている。
実はわたしは谷川さんの助手をしていたことがあり、その時に谷川さんと寺山修司さんとの間でやりとりしていたビデオ映像による往復書簡「ビデオレター」を側で手伝っていたことがある。実はほんの少しだけどわたしの撮った映像も使われている。
寺山さんは、寺山修司を実体ではなく意味として捉えていた。さらに言えば、世界を言葉の意味として捉えようとした。その寺山さんが、肝臓癌の末期だったことも関係しているのだろうが、「ビデオレター」では自分の実体に触れようとしたところがある。
寺山さんのところにいた森崎偏陸さんが寺山さんからの「ビデオレター」を届けてくると、わたしはそれを谷川さんと一緒に見ながら、この先は一体どうなるのだろうかと楽しみにしていた。
ところが、寺山さんの死によって「ビデオレター」は突然終わってしまう。
とても残念だった。
そして一応の区切りをつけるということで(つまり「ビデオレター」という作品を完成させるために)谷川さんは返事の来ない「ビデオレター」を寺山さんに出す。その映像の終わりには、「二十才 僕は五月に誕生した」の行の入った寺山さんの「五月の詩」が映し出される。「寺山修司は5月に生まれて5月に死んだ」と谷川さんなりのこだわりを持っていたようだった。
この時の体験は、わたしが映像表現することにおいて貴重なものとなっている。
その谷川さんと語り合って作った本が、1993年にフィルムアート社から出版された「これは見えないものを書くエンピツです」。
この本では、プライベートなビデオ映像の可能性についてかなり深く掘り下げている。
本の表紙に「ユビめくり・ビデオ劇場」とあるのは、わたしのビデコマ作品「加速りんご」を本のページをパラパラ漫画として観てもらおうというもの。りんごが朽ちてゆく過程を定点観測すれば半年はかかってしまうところを電子レンジでその時間を加速させてみた。
本の裏表紙(1部分を拡大)には、その「加速りんご」の写真がある。右側一番下の写真は、干からびたりんごが燃えて煙が出たところ、そこでこの映像は終わる。