日々にイメージを採取する!


by videoartist
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

吉本隆明、糸井重里



吉本隆明さんが昔よく物事は10年続けるとモノになると言っていた。「詩のボクシング」は、10年を越えた。そして糸井重里さんが、『ほぼ日刊イトイ新聞』の発行が10年を超えたところで、「吉本隆明さんの語った『10年、毎日続けたらいっちょまえになる』の話」と題した記事を載せていた。

わたしも初期のイトイ新聞で連載をさせてもらったことがあるので、イトイ新聞の存在をいつも身近に感じている。糸井さんとの視覚詩の合作もある。また、イトイ新聞の場を使わせていただいた一宿一飯の恩義<時代錯誤的な言い方と笑われるかもしれないが>もある。

その糸井さんにジャッジを担当していただいた時に、ジャッジ席にいた詩人らしき人たちの感想を耳にして、「何を言っているのか、さっぱりわらなかった」と言っていた。わたしには、糸井さんがなぜそう言ったのか理解できた。その人たちは、場を感じているのではなく、声による表現の場という見方を欠いたまま、詩であるか、詩でないとかの視点で屁理屈を言っているだけのようだった。

以後、いわゆる文字としての表現にしか詩の存在理由を見出せない人には、「詩のボクシング」の場でのジャッジは適さないと思い、そのように対応させていただいている。もちろん、「詩のボクシング」に出場して声の言葉で表現してもらうのは大いに歓迎する。

ところで、10年経ったとはいえ、いまだに参加者には(と言っても、ほんのごく一部だが)、場というものを介さないで、「詩のボクシング」のリングに上がって、他の参加者のことを考えないで、その場を批判する人がいる。そんなことをするより、自分の表現によって、その嫌な場を凌駕すればそれでよいのではないか。あるいは、嫌な場に近づかなければよいだけの話。そういった人は、わざわざ用意してもらった場を使わせてもらっているいう一宿一飯の恩義の意味を理解することはないだろう。

「詩のボクシング」が10年続いたことについては、昨日のブログにも書いたが、10年以上やってきて見えてきたものは沢山ある。そしてモノになったと感じられることもある。

例えば、上手い下手ではなく、人の声を楽しめる場としての「詩のボクシング」、その場作りの考えが基本姿勢としてしっかりモノになっていると思う。

そしてこれからは、その経験をどのようにして1人でも多くの人に伝えられるのか、という難題でもあるが、その難しいさを乗り越えられるように場作りを楽しめるようにしたいと思う。


明日から2日間、神奈川県高等学校演劇連盟主催の演劇発表会の審査員として青年座の俳優の方と小田原へ行く。
by videoartist | 2009-10-09 09:00