今後求められるのは、既成の表現ジャンルの境界を壊すこと
2009年 12月 14日
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「声と言葉のボクシング」団体戦・全国大会1回戦、神奈川チーム対東京チーム。
両チームの選手が、判定結果を受けてジャッジからの感想を聞いている。
既成の表現ジャンルが低迷している中で、今後求められているものは一体何なのでしょうか。
ゼロ年代と呼ばれた批評や表現者も個人の専門に閉じ籠り、その他のものへの関心を示さなくなっています。つまり、純文学や現代詩は、文芸誌や詩誌の読者だけを相手にするようになり、オタクもアキバ系のオタクだけを相手にし、ロストジェネレーションは自分たちの世代の利害だけを語るようになっています。正にそれぞれの表現ジャンルが、それぞれに引いた境界線の内に閉じ籠ってしまっているといった感じです。
これは、先行きの見えない不況下で既成の表現ジャンルにおける表現者たちが、その市場の未来像を描けない行き詰まり状態に陥っていることを示しているのでしょう。
では、この先、どうすればよいのか。わたしは、市場をかく乱する行為でもって、それぞれの市場のよどみに流れを起こし、その流れの中で新たなものを生み出すしかないと思っています。
つまり、既成のジャンルで価値化されたものを壊し、新たな価値を生み出すということです。そのパワーがこれからは必要です。
少なくとも「詩のボクシング」は、そのことを具現化して来たのではないかと自負しています。そして「声と言葉のボクシング」は、それを発展させるものだと。
さらに、「詩のボクシング」や「声と言葉のボクシング」の場に関わる人たちは、既成の境界を壊し、その境界の中に閉じこもっているものを新たにつなぎ合わせることができるのではないかとも思っているのです。
もちろん、理屈によってではなく、その場を楽しむことによってです。
これまでこのブログで紹介している今回の全国大会出場者の感想や観客の感想からも声と言葉の場を相互に楽しんでくれたことがよく伝わってきます。言うまでもなく、ライブの場は、楽しくなければ人は集まってきません。いくら理屈で良いとしても、人が集まらなければ(もちろん、身内的な集まりではなく)、他者へ向けて表現する場は成り立たないのです。