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「詩のボクシング」が目指してきたものとは(その2)


7月31日(土)の午後1時から長崎市の長崎市立図書館で自分の声と言葉で表現して楽しむワークショップをすることが決まりました。図書館の担当者の方は、「詩のボクシング」のことを知っており、以前からワークショップができないものかと考えていたそうです。今回それが実現することになり大変喜んでいました。このワークショップから長崎大会に参加する人も出てくるのではないかと期待しています。

この図書館でのワークショップを終えた翌々日の8月2日には、宮崎で開催される全国高等学校文化祭の中で行われる「詩のボクシング」高校生大会に行きます。今回はどんな大会になるのか、全国から集まってくる高校生朗読ボクサーの声と言葉が楽しみです。

「詩のボクシング」の場は、リングに上がった人たち全員で作るものです。トーナメントの結果としてチャンピオンは決まりますが、同じ人たちでもう一度トーナメントを行えばまた違うチャンピオンが生まれます。実はこのことは過去に一度、二試合制・選抜式全国大会で実証されています。要は、「詩のボクシング」におけるチャンピオンは確定された地位を持った存在ではないということです。つまり、「詩のボクシング」は、チャンピオンを生み出すことはあっても、そのことを価値化することを目指しているわけではないということです。

「詩のボクシング 声と言葉のスポーツ」(東京書籍刊)の本の中でわたしは、

「『詩のボクシング』の今後についてですが、これはあまり言っていませんが、鶴見俊輔さんの『限界芸術論』という本があって、そこで鶴見さんが言っている限界芸術に共感するところがあります。実は『詩のボクシング』の場も限界芸術になればいいと思っています。例えば、阿波踊りですが、阿波踊りの上手な人とか下手な人はいても、プロの踊り手っていないわけでしょ。それと同じように、プロが担わないですむような声の場として『詩のボクシング』を存在させたいと考えています。そして、今以上に多くの老若男女に参加していただいて、何よりもまず人の声を楽しんでもらえる場にしたい。さらにはその先に、新たな声の文化が生まれることを願っています」

と語っています。この考えは今でも変わっていません。むしろ、ここで語っている場のあり方が「詩のボクシング」の場として目指していることなのです。

さらにいえば、「詩のボクシング」は、声を発する人たちが互いに声を合せることによって聴き手である人たちに出会う媒介の場として成り立てばよいと考えています。媒介となれば、その場はその場に関わる人たちによって常に変化します。チャンピオンも同じです。その証とでもいえるでしょうか、各地の大会のチャンピオンは、次の大会では予選会から出場しなくてはならず、予選落ちすることもあるのです。それでも声の場を楽しんでくれるところが、いいのです。そこが限界芸術の魅力でもあるのです。

そして、そのことが意味しているのは、勝ち負けを超えたところで発せられる声こそが「詩のボクシング」の目指す声なのだということです。
by videoartist | 2010-02-06 22:30 | 「詩のボクシング」