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来年、滋賀大会開催か!?


今年は大会が行われませんが、2011年には香川大会と高知大会が開催される予定です。香川大会は日程も決まっています。

こうやって大会に出場した人たちが、声と言葉の場で覚醒した純粋な魂の行き場を求めて新たな場を作ってくれるのです。

そして、その場では、純粋な魂の普遍的存在を信じ、その存在を消滅させないために言葉を紡ぎ祈りのように声にしているとわたしは感じています。

純粋なものなどこの世には存在することはない、その祈りは虚しい、という人もいるかもしれません。しかし、わたしはそうは思いません。なぜなら、その声に身体が触れることによって、純粋さとしかいえないものを確かに覚醒させてもらっているからです。また、その覚醒は言葉の意味とか表現技術の範疇にあるものではなく、言葉以前のものが成しているようにも感じます。

第9回全国大会の準チャンピオンの吉川詩歩選手の声には、そのことを覚醒させる力がありました。


ところで、昨年の滋賀大会代表の木村泰崇選手から下記のメールが届きました。


昨年の全国大会の、たとえば東京代表、たとえば神奈川代表のパフォーマンスを見ていて聞いていて、つくづく思ったのですが、「詩のボクシング」というイベントを、それが「自己表現」、自我の壁、自我の殻を打ち破っていく場としてとらえた時、ある意味マックスに、リミットに達しているというか、もうこれ以上におのれの魂を他者に向けて開いていくスタイル、スタンスはあるのだろうか?もう「詩のボクシング」個人戦もある意味「果て」までいってしまったのではないか? ……という気がしてしまったぐらいでした。

それだけ私にとって、昨年の東京代表と神奈川代表のパフォーマンスはインパクトのあるものでしたし、心が震えるものでしたし、この感動、このショックは、一昨年の全国大会では味わえないものでした。東京代表の朗読を耳にしながら私はあの尾崎豊のステージを思い出していて、また、神奈川代表の朗読を耳にしている時はあの中島みゆきのステージを思い出していました。

楠氏が10年「詩のボクシング」をやってこられて、その10年という歳月、10年という歴史が、この「自我の飛翔」というか、「自我の爆発」をステージ上に結晶させたのではないか、そんな思いを抱きながら、朗読者のパフォーマンスに耳を傾けていました。

詩を書く人間にしろ散文を書く人間にしろ、つまるところは、おのれの魂をいかにして他者の前に開いていくか?というその一点に入り込んでいくところがあるように思います。そのベクトルの中において、ある意味、昨年の「詩のボクシング」の全国大会の個人戦は、もうリミットまで達してしまっていたように思えてなりません。

だから、楠氏は、ベクトルを「団体戦」へと移行しているのではないか?そこから「新しいもの」を発見しようとされているのではないか?私には、そんな気がしてなりません。

滋賀大会は、今年はムリですが、来年は、必ず「第6回」を実現させたいと思っています。12月に、ほんじょう氏と居酒屋で「これからの滋賀大会に向けて」の二者会談を行い、「第6回」に実施を誓い合いました。来年、また、よろしくお願いします!      

滋賀 木村泰崇

木村泰崇選手のメールには、朗読と同じように力強さを感じます。いつも何かを確信しているように感じるのです。たとえその確信が的外れなものであったとしても、実に心地よいのです。なぜなら、確信する心が唯一人を救う手立てでもあることを彼は知っているからでしょう。

来年の滋賀大会開催を木村選手の確信に期待しましょう。
by videoartist | 2010-02-22 21:30 | 「詩のボクシング」