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声の言葉について


 「詩のボクシング」は、若きは老いの言葉を受け止め老いは若き声を受け止め心の内の見えぬものを感じ合うことのできる場です。

 全国各地で行っているワークショップや大会予選会の良さは、人の声の言葉を聴くことのできる耳を持つようになれることにあるでしょう。言うまでもなく、人の声を聴くことのできない者は、自分の言葉を声にして人に伝えることはできません。「詩のボクシング」は、聴く耳を持つことによって伝える口を授かる場なのですから。

 人は、文字を発明しそれを使ってコミュニケーションするようになる前は声の言葉でコミュニケーションをしていました。それも人の歴史からすれば非常に長い間です。声の言葉には、文字となる言葉以前の言葉本来のエキスが詰まっています。その声の言葉に今一度立ち返り、そのエキスを吸収することが「詩のボクシング」の場の存在理由にもなっています。

 そのことを理解してくれる人が徐々にではありますが増えています。

 先日秋田県大館市で行ったワークショップ型秋田大会と宮崎で行われた全国高総文祭みやざき2010についての感想が新聞記事になっています。

 「詩のボクシング」は、その規模の大小に関わらず、人の声でしか味わいない独特の雰囲気を醸し出し、必ずと言ってよいほどその場にいた人たちに深い感銘を与えています。


地方点描:「詩のボクシング」[大館支局]
2010.8.10 秋田魁新報朝刊

 「声と言葉の熱きバトル」に思わず引き込まれてしまった。大館市民文化会館で先日開かれた「詩のボクシング」秋田大会である。ボクシングのリングに見立てたステージで2人が順に自作の詩を朗読、どちらの声と言葉がより聴衆の心に届いたかを競う催しだ。パンチの効いた言葉の静かな応酬が心地よかった。

 「詩のボクシング」といってもなじみがないと思う。「ファイト」の掛け声とゴングで朗読を始める。持ち時間は3分間。判定を行うのは聴衆で、挙手の多かった方がトーナメント方式で勝ち進む。

 先日の大会では亡くなった母親に寄せる慕情あり、祖母とのユーモラスな日常のやりとりあり、ちょっと自虐的な自己紹介ありと庶民ならではの生活感ある多彩な内容だった。

 会場とのやりとりも、とてもアットホームな雰囲気。初戦敗退で落ち込んだ様子の女子高生を見かねたのか、最前列に陣取った母親ぐらいの年の女性たちが「でも内容はとてもよかったんだよ」「そうそう。よかったよ」と声を掛ける。そんな温かい声援に女子高生の表情がちょっぴり和らいだ気がして救われた。

 全国大会はことしで10回目だが秋田大会はまだ2回目で、参加者は寂しい数だった。特に中学生や高校生が少ないのが残念だ。

 詩をつくるだけでなく、それを声に出して戦わせ、言葉の力を競い合う。声と言葉のバトルを通じて自分の言葉を鍛え、磨きをかける。そんな機会が生徒たちにもっとあってもいい。例えば学校ごとに「詩のボクシング」を開いたらどうだろう。そう夢想してみる。



全国高総文祭みやざき2010/県内文化人インタビュー/将来へ有意義
2010.08.11 宮崎日日新聞朝刊 

 1~5日に開かれた第34回全国高校総合文化祭(高総文祭)・宮崎大会。高校生の文化の祭典に、全国約2万人のハイレベルな技能を持った高校生たちが本県に集った。同大会に対する感想をはじめ、本県文化界の将来に与える影響や期待などを、県内の文化人らに聞いた。

日章学園中校長/中馬宣明さん(63)=宮崎市

 県内で高総文祭が開催されたことで、高校生の文化系部活動がメディアでも盛んに報じられた。高校生だけでなく、小中学生たちも興味を持ったことだろう。本校は詩の教育に力を入れているが、文芸部門の「詩のボクシング」に興味を持った生徒もいたようだ。

 中学生はこれから高校に進学する世代。高校生の素晴らしい表現活動を見て、進学したらこれをやってみたいと思った生徒もいたはずだ。演劇など中学生にはあまり身近でない部門も多かったので、新たな関心が芽生えた生徒もいたかもしれない。

 今後は高総文祭というインパクトをどう総括するかが大切。中学の現場では、総合的な学習の時間などを通じ、進路指導に生かすこともできるだろう。子どもの夢を実現するために生かしたい。


by videoartist | 2010-08-15 11:00 | 「詩のボクシング」