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2つの全国大会のジャッジは7人!声と言葉でボクシングする(4)


10月16日の2つの全国大会のジャッジは7人です。

すでに5人のジャッジを発表していますが、あと2人は一般の方から選びました。

当日の会場でお披露目です。

楽しみにしていてください。

この初となる2つの全国大会を連続して行う前売チケット購入期限まで1週間となりました。

お急ぎください。



感じた瞬間にポエジー(詩)はある 楠かつのり

 詩というと、小、中学校で習った教科書にあった詩の姿を思い浮かべるでしょう。しかし、そういった詩だけではなく、わたしは「日常のハッとした瞬間にポエジー(詩情)は宿っていて、そこに本来の詩がある」とよく言っています。

 夕日を見て「ああ、きれいだなぁ」と感じたその瞬間にもポエジーがあります。それは、文字で書き表されなくてはならないというものではありません。その瞬間に感じたことを、例えば声の言葉で表してもいいのです。そして、その声の言葉を他者に伝えることができれば、そこに表現としての声の詩が生まれるのです。

 もちろん、それは写真であってもいい。写真を見て、「なんて綺麗な夕日なんだろう」と心に染み入るように感じられたのであれば、そこにもポエジーがあるのです。そして、そのように感じたのであれば、その写真も詩だと言えるわけです。つまり、感じたままのポエジーを逃さないように含み込んで表現できたものであれば、その表現媒体が何であっても、それは詩になり得るのです。

 現代詩には比喩を多用し、難解さが強調されたものがあります。それは文字を使った詩だからそうすることもできるのですが、声で表現するとなるとやはり分かり易さが求められます。しかし、分かりやすいから詩ではないということはないのです。「詩のボクシング」には、文字の詩とは違う声でしか生み出せないポエジーがあり、もしそれを聴き手に感じてもらえるように表現だきたのなら、そこに新しい詩の姿も見えてくるとわたしは考えているのです。そして、実際に「詩のボクシング」の場でいくつかの新しい詩にも出会っています。


by videoartist | 2010-10-04 23:00 | 第10回個人戦・全国大会2010