「詩のボクシング」はどうやって始まったのか?
2010年 12月 23日
原稿依頼があったので「詩のボクシング」がどうやって始まったかについて書きました。
その冒頭です。
東京都内の小さなライブハウスで始めた声の場からだった。この場を始めるきっかけとなったのは、「自分の言葉とは何か、自分の声とは何か」を問い、その問いに答えるための方法として「自分の言葉と声を他者に伝える」場が必要だと考えたからだった。それから30年近くが過ぎた。
このライブハウスでのイベントでは、詩人だけではなく、フォークシンガー、演劇人、舞踏家、幼稚園児などに出演してもらって、誰でもが参加できる新しい表現の場にしたいという思いがあった。ライブハウスでは、3年ほどやり、その以降も定期的に「音声詩の実験教室」やライブ雑誌「なまもの」と名付けての自作朗読を中心としたイベントを行った。
ただ、30年前、こういった声の言葉だけの場を作り出す活動を評価する人はほとんどいなかった。ただ一人、詩人の中村稔さんが関心を持ち、自らが関わる同人雑誌にその可能性について書いてくれていたのが思い出せるだけだ。当時、文字で表現されているものを、わざわざ声に出してまで表現する必要性はないとされ、そういったことをするのは知的レベルが低いとさえ思われていたのだった。
そして、下記リンク先に「詩のボクシング」を始めた当時のスケジュールを記した日記があります。
⇒1996年から1999年
※日記の中に「1997年10月22日から26日の期間、錦糸町・西武百貨店のスタジオ錦糸町で新作の映像作品の上映とちょっと変わったイベントを行いました」の個所があります。
わたしが声の言葉を中心にした場を創ろうと考え行動できたのも、この日記の残骸から推測してもらえると思いますが、さまざまなメディアを巡りながら仕事をしていたからだと思います。
生の声はその場で消えて行ってしまう。そういったその場で消えてしまう生の声というメディアが、記録して残せるメディア(文字もまさしくそうです)が氾濫している中で逆に面白いと思えたのです。