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声の文化とは


今年の8月に全国高等学校総合文化祭が富山県で開催され、文芸専門部の大会では「詩のボクシング」が行われます。

言葉を伝える、あるいは言葉を使ってコミュニケーションするメディア環境は大きく変化しています。言葉のみならず映像においても同様です。映像ではYouTubeによって個人の映像作品を一般公開することができます。これによって、これまでの映画やテレビといった型を破った映像表現の可能性が開けたわけです。

言葉においてもメディア環境は大きく変化しています。その変化の中で高校の文芸部での発表の方法は旧態依然として変わっていません。なぜ、ネットでの発表とリンクさせることができないのか、わたしは疑問に感じています。

文芸という場においてもこれまでのシステムを壊し、新たなシステムをつくることが求められているのではないでしょうか。

そこは指導教員の力量によるということもあるのでしょう。であるならば、いっそのこと高校生に任せてしまえば、発表の方法もかなりおもしろくなるのではないか、頑なに変化しないことをよしとするのではなく、変化もよしとする考えを持つこともあってよいと思います。

c0191992_62844.gif詩は声の文化から生まれた


「詩のボクシング」の場では、朗読者は常に聴き手がいることを意識しています。ところが、現代詩を書いている人は、詩表現は読者がいなくても成り立つという考え方をしているように見受けられます。そして読者がいなくてもよいことを肯定するためにいろいろ理屈を書きますが、肝心なところを避け、読まれないことの言い訳をしているようです。

ところが、メディアの中では表現ジャンルとしては存在できているので、読者がいなくても取り上げられます。しかし、そこには大きな落とし穴があるのです。また、取り上げる側には、詩を取り上げることに対して活字メディアの遺制的意図が強く働いているようにも見受けられます。

その意図とは何かをこのブログで解き明かして行きましょう。
by videoartist | 2012-02-19 10:30 | 「詩のボクシング」