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「詩のボクシング」は、どう説明していいのかわらないとよくいわれます。

概ね、そこには詩が求められていないとか、いや、やはり詩があるとか、何でもありの場だが何でもよくない、パフォーマンスが優っていればいい、いや、パフォーマンスだけでは駄目だ、といった印象で語られているようですが、どれも当たっているようでもあり外れているようにも感じます。つまり、うまく説明できていないのです。

これは既存のものの見方に当てはめようとするからであって、そういった見方を超えたところに「詩のボクシング」がある、そのことを証明しているのではないかと思います。つまり、「詩のボクシング」は「詩のボクシング」である、としか説明できないということです。他に比べるものがないのです。

そして、「詩のボクシング」を語るには、「詩のボクシング」を観るしかないということにもなるのです。

たとえば、野田秀樹の演劇が、賛否両論でもって演劇界に旋風を巻き起こした時もそうでした。野田の芝居はうまく説明できない、説明できないのであれば、これは観るしかない。そして、野田の芝居は一度は観ておこう、あるいは一度は観た方がいいということで広く世間に認知されて行ったのです。そこに至るまでに山あり谷ありでしたが。

「詩のボクシング」もまったく同じだと思います。もちろん、「詩のボクシング」にも山あり谷ありでしょうが。

来年もよろしくお願いします。
by videoartist | 2009-12-29 13:30 | 「詩のボクシング」

ステージ版「詩のボクシング」をやろうと思い立って動いていると大きな出会いがあった。通時的なものではなく共時的な出会いと言ったところでしょうか。その出会いについては、いずれ発表できると思います。

その出会いの中で新たな全国展開の道も見えてきています。まったく新しいやり方です。このステージ版に参加する人たちは、表現の領域に新たな可能性を見出すことになると思います。また、人と自然を対置させて生きることへの発見に繋がることになるでしょう。

ゼロからのスタートになりますが、ゼロから始められることの喜びを味わってもらえると思います。一緒にやりましょう。


ステージ版への参加者を今後も募りますが、ある人数になったところで締め切らせてもらいます。
by videoartist | 2009-12-26 20:30

山梨大会代表からの感想


山梨大会代表の岩崎健一選手から感想が届きました。

全国大会が終わった後すぐに、彼の音楽活動の一環としての仕事でカンボジアへ行ったそうです。今回で7回目になるとのこと。

カンボジアでは、地雷の問題が深刻で、まだ500万個もあり、1年に1万個処理できたとしても500年かかるということでした。そして、「その途方もない祈りに向かって歩いていました。あきらめずに続けてる姿に感動と勇気をもらって帰ってきました」とありました。

「詩のボクシング」に出場する人たちは、いろいろな活動もしています。岩崎選手は、その活動の中で感じていることを心やさしく表現していたのだと思います。


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岩崎健一

全国大会が終わり、すぐにパンチをみがきにカンボジアへ行ってきました。

「詩のボクシング」みたいな文化面でのカルチャーを楽しめるようになったら、毎日が新しくなるように思いました。また、そういう歌や詩や言葉でカンボジアの人に勇気や元気をあげたいとも思いました。

カンボジアには、まだ音楽と体育の授業がありません。

僕は、行ける時には学校や孤児院などに歌いに行って、音楽を教えています。

1回ぐらいそういう世界を見て置けばいいかななんて思って、軽い気持ちで行ったカンボジア、気が付いたら7回も行っていて僕は大好きになっていました。

カンボジアの何もない豊かさが、僕を嬉しくさせて、水をゴクゴクと飲むように歌わせてくれるのです。僕に出来ることは、僕のやりたいことでした。

「詩のボクシング」地方大会、全国大会、楽しかったです。勝ち進むという気持ち良さと勝負の厳しさを味わうこともできました。「詩のボクシング」は、独特の世界があるようにも終わってみて感じました。詩の朗読とも、弁論とも違うし、あまりよく分かってなかったので周りに説明するのに困りました。

その人から湧いてくる言葉やどうしようもないブルースのような言葉はとてもリアルで、詩よりも詩そのもののようで、そういう声や言葉を見せてくれた人が印象的でグッと来ました。

僕は全て先攻で、朗読の傾向や対策などを考えてる時間はなく、自分を見せるしかありませんでした。それが良かったのでしょう。思いっきり迷いなくできました。どちらにせよそれしか出来ませんが、しかも初めての舞台に緊張もしましたが、それはふるえるほどの幸福感というものでした。

会場に着くとみなさん強そうに見えて怯んでしまいました。対戦したくないなぁという人にことごとくあたってしまい、しかも対戦した人全てが楽屋で並んで座っていました。嫌な予感はよく当たるものですね。

一回戦はみなさん力が入っていて面白かったです。自信のあるものを持ってきたように思います。応援してくれる人も沢山来てるから、やっぱりみんな勝ちたい気持ちが出ていて見応えありました。闘いが終わり結果も残せたように思いますが、周りに報告してもあまりピンとこないようです。近所の方は新聞を見て、ボクシングやってたんですねー、なんて置き手紙と白菜と大根を玄関先に置いてあったり、頑張ってくださいなんて言われてしまいました。明日から縄跳びでも庭先で始めないとなりません。

詩というものがどういうものかはわかりませんが、僕自身が詩になっていたら嬉しいです。

2回目のチャレンジは、今年よりも厳しそうな即興詩への道になりそうです。

出会いをありがとうございました。
by videoartist | 2009-12-25 13:30 | 「詩のボクシング」

人と人とのつながりが難しいといわれている現代において、1人ではなく3人で表現することにつながりを持つのがこの団体戦です。これまで個人戦・全国大会に出場するのは16人でしたが、団体戦では8チームで24人になります。これは声と言葉の表現の場で24人のつながりができると考えてもよいでしょう。

四国チームは、ピエロ的無垢さを感じさせるということにおいて、そのつながりを感じさせてくれたと思います。わたしは、時代の流れに逆行しているかも知れない(いや、だからこそ)その無垢さの表現を楽しむことができました。

来年は個人戦は8人になりますが、団体戦は今回と同じ24人です。つまり、個人戦と団体戦出場者数を合わせると32人になります。これは、人数だけでいえば、これまでの個人戦16人の倍の人数になるということです。一見、個人戦・全国大会を8人制にすることによって寂しくなるように思われるかもしれませんが、実はそうではなく、個人戦・全国大会と同じ時間内で32人の朗読を聴けると考えれば、これまでの倍の声と言葉のパワーを体感できることになります。期待していてください。
 

[四国チーム:川原真弓、坂倉夏奈、ポエム少年]

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川原真弓

ふたありの高校生とピエロ。ほれはちっぽけやけどかけがえのないものがたり、となりました。

小山ゆうさんの”おーい竜馬”、司馬遼太郎さんの”竜馬がゆく”と読みすすめながら、竜馬に魅せられてしもとるピエロが出会った土佐は高知の高校生ふたり。

桂浜の荒波に足をつけようとしてズボンまでびちょびちょになってしもてもめげんと、3人は初めて会いました。

本の中では聴きなれとる土佐弁がほんまに耳に心地ようて、たぶんピエロがリーダーのミーティングはとてもたどたどしく進みました。

そして、ふたありの高校生はピエロのいる徳島にもはるばるやってきてくれました。

ほのお互いのしたお互いの場所へのたびは、「声と言葉のボクシング」を通してみたかけがえのないものがたりです。

出会えたこと、ほれを大切に大事にしてリングに上がり、私たちは朗読しました。

敗戦はしたものの、きっと3人ともすがすがしい気持ちです。

ほこから得たものは大きいて、試合後に3人で撮った写真はきらきら輝いています。

みなさま、本当にありがとうございました。こころから感謝します。
by videoartist | 2009-12-23 10:30 | 「声と言葉のボクシング」

北海道チームは、リングを使った自作朗読における3人の動きのフォーメーションをうまく作っていたと思います。

3人の円を描くような動きが気持ちよく決っていました。団体戦での朗読法の一つとして観客には記憶されたのではないでしょうか。

個人戦とは違う団体戦の面白さが、次回の全国大会へと期待を抱かせる北海道チームの健闘ぶりでした。


[北海道チーム:浦田俊哉、まっつ、オオタニ]

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浦田俊哉

悩みました。三人一組でやる、その意味をどう解釈すべきか、これは難問である、そう感じるのに、お互いそんなに時間はかかりませんでした。

自分一人でやるのは、ある意味気が楽です。発せられる声も内容も全てひっくるめて自分次第です。だから、ある意味どうとでもできます。

しかし、三人でやる、乃至は複数でやるとなると、そうはいきません。どこかに接点が必要です。やはり三人の接点がなければ、伝えなければ、そう考えなければ、三人でやるということ、複数でやるということの必然性がなくなっていくように感じました。この考えが私たちを最後まで縛りましたが、終わった今もその方向性は間違っていないと感じています。

ただ、全く個性の違う三人です。年代から朗読スタイルから考え方まで違う三人なので、できればその個性を活かしたいと考えました。個性を活かしつつ、三人の接点を伝える。こうした考えの下にできたのが、今回私たちがやった「北海道」です。構成は稚拙ですが、実際かなりの難産でしたので、とても愛着のあるものになりました。

テキストを練っている間、他のチームがどんなことをするのか興味津々でした。なにせ初物です。特に構成をどうもっていくのか、お互いの声と言葉をどう絡めていくのか、きっと私たちの想像を超えたことをやってくるに違いないと、プレッシャーにもなりワクワク感にもなり、当日がとても待ち遠しかったです。

そして迎えた当日は、驚きの連続でした。各チームの企画力、構成力、表現力に圧倒されました。まるで言葉のシャワーを浴びているようでした。快感でした。

そんな中、我々北海道チームは、一回戦を勝たせていただきました。あの時初めて、勝って飛び跳ねました。今まで一度もありません。相手の兵庫チームには申し訳なかったのですが、とにかく三人で勝てたことがとても嬉しかったのです。自分でも驚くくらいでした。その後、二回戦で私がこけてしまったので、まっつさん、オオタニさんには申し訳ないことをしました。ごめんなさい。

ちなみに私たちの発表は、控え室のくじ引きで1番でした。「ヤバイ」と思いましたが、考えたら1番です。初物で、1番です。ということは、我々北海道チームが、扉を開くわけですね。なんという幸運でしょう。北海道から来たかいがありました。「声と言葉のボクシング」は、北海道チームの朗読から始まったのです!栄誉です。

「声と言葉のボクシング」は「詩のボクシング」同様、回を重ねるごとにどんどん発展していくのでしょう。来年はいったい、どんなチームが、どんな声を発するのでしょう。いずれにせよ、今回の大会が土台となっていくことは間違いないと思うので、私たちがやった「北海道」も、一つの形としてとらえていただけたならこの上なく嬉しいです。

ありがとうございました。
by videoartist | 2009-12-19 10:00 | 「声と言葉のボクシング」

携帯電話でこのブログが読めます。
下記のURLです。
http://mblog.excite.co.jp/user/imageart/

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「声と言葉のボクシング」団体戦・全国大会1回戦、神奈川チーム対東京チーム。
両チームの選手が、判定結果を受けてジャッジからの感想を聞いている。


既成の表現ジャンルが低迷している中で、今後求められているものは一体何なのでしょうか。

ゼロ年代と呼ばれた批評や表現者も個人の専門に閉じ籠り、その他のものへの関心を示さなくなっています。つまり、純文学や現代詩は、文芸誌や詩誌の読者だけを相手にするようになり、オタクもアキバ系のオタクだけを相手にし、ロストジェネレーションは自分たちの世代の利害だけを語るようになっています。正にそれぞれの表現ジャンルが、それぞれに引いた境界線の内に閉じ籠ってしまっているといった感じです。

これは、先行きの見えない不況下で既成の表現ジャンルにおける表現者たちが、その市場の未来像を描けない行き詰まり状態に陥っていることを示しているのでしょう。

では、この先、どうすればよいのか。わたしは、市場をかく乱する行為でもって、それぞれの市場のよどみに流れを起こし、その流れの中で新たなものを生み出すしかないと思っています。

つまり、既成のジャンルで価値化されたものを壊し、新たな価値を生み出すということです。そのパワーがこれからは必要です。

少なくとも「詩のボクシング」は、そのことを具現化して来たのではないかと自負しています。そして「声と言葉のボクシング」は、それを発展させるものだと。

さらに、「詩のボクシング」や「声と言葉のボクシング」の場に関わる人たちは、既成の境界を壊し、その境界の中に閉じこもっているものを新たにつなぎ合わせることができるのではないかとも思っているのです。

もちろん、理屈によってではなく、その場を楽しむことによってです。

これまでこのブログで紹介している今回の全国大会出場者の感想や観客の感想からも声と言葉の場を相互に楽しんでくれたことがよく伝わってきます。言うまでもなく、ライブの場は、楽しくなければ人は集まってきません。いくら理屈で良いとしても、人が集まらなければ(もちろん、身内的な集まりではなく)、他者へ向けて表現する場は成り立たないのです。
by videoartist | 2009-12-14 18:30 | 「詩のボクシング」

自作朗読、つまり自分の身体を人前に晒して声を出すということは、非言語(ノンバーバル)としての身体表現をともなうものです。そのことはどのような朗読をするにせよ不可避です。その身体表現の極みともいえるものを見せてくれたのが、九州チームのささりん選手でした。

彼は、現役のマラソンランナーでもあります。

今回の団体戦・全国大会の会場には、アテネオリンピックで日本代表選手なったささりん選手の先輩も応援に来てくれたとのことです。

次回はオリンピック日本代表選手が、団体戦・全国大会のリングに上がってくるかも知れません。オリンピック代表選手に限らず他にも現役のスポーツ選手がどんどん出て来てくれるようになればと、そんな期待も膨らんで来ます。

となれば、「声と言葉のボクシング」は、文学とスポーツの境界線を消し去り、文学を楽しむと同時にスポーツをしている、あるいはスポーツをしながら同時に文学を楽しんでいる「文学スポーツ表現」という新たなジャンルを生み出すかも知れない。

であるならば、一人でも多くのスポーツ選手に「声と言葉のボクシング」の場に挑戦してもらいたい。そして団体戦・全国大会のリングに上がって来てもらい、そう思うのです。


[九州チーム:倉地久美夫、ささりん、村上昌子]

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ささりん(朗読ランナー) 

団体戦・全国大会のリングの上で、少しずつ完成されていった九州チーム。つながらないような3人の個性が、上手くかみ合っていったことが面白かった。観ている人にはどのように映ったのだろう。

私にとって、倉地さんは監督であり、村上さんはマネージャーになっていた。そんな心強い2人のそばで心置きなく走れた私は、幸せなランナーだった。

また、走ることで言葉の出てくる私にとって、4面客席に囲まれたリングは予想以上に走りやすかった。そこは、まるで東京マラソンで走った4車線道路。温かい沿道の声援に囲まれて、いつも以上に身体から言葉があふれた。

もう1つ、団体戦・全国大会で嬉しかったことがある。私の知人でアテネオリンピック日本代表にもなったランナーが観戦に来てくれたことだ。「詩のボクシング」で私の朗読に興味をもってもらえたことが、何よりも嬉しかった。

リングの上からその方の笑顔が見えた時は、一緒に走っているのだと感じた。実際にはそんなことできないくらい凄いランナーと走ることができたのは、朗読者と聞き手が一体となる「声と言葉のボクシング」であったからだ。

様々な興奮があった団体戦。帰りの飛行機では、“また九州チームで朗読したいなあ”と3人での時間を思い返した。同時に、こんなこともやれるんじゃないか?とニヤける。

ランナー3人でチームを組んだらどうなるのだろう・・・妄想が加速する。

“おっと!これは!マラソンランナー3人がリングの上を走り回っている!ささりんの隣にいるのは、なんと、オリンピック日本代表選手だ!!”これだ!そんな期待の膨らむ団体戦のリングには、声と言葉の可能性が広がってゆく。

よ~し!今日もこれから妄想の世界へ走り出してゆこう!
すーはっはっ すーはっはっ ほっほ~~♪

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by videoartist | 2009-12-12 18:30 | 「声と言葉のボクシング」

長崎大会代表の感想より


今回の全国大会で最もユーモラスな朗読をしたのは、長崎大会代表の岩永真実選手でした。

詩にも笑えるものは沢山あります。

岩永選手の朗読した作品も笑える詩でした。



便秘。

その名を見れば一目瞭然。
秘められた便。
便に秘められたナゾ。
秘密の便。
便の秘宝。

もはやただ者ではない。
今日も明日も惑わし続けている、体内フン争だ。

意地でも出さない!という保守的な抵抗は、
体内政権をもおびやかし、
大腸の情勢悪化を知らしめる。

[略]

気がつけば、下っ腹がパンパンだ。
おならが出る出る。
食欲不振。

ああ、このままでは便秘にやられてしまう。
被害者意識が私を駆り立て、
便秘と大腸が攻防戦を繰り広げる。

私は、コーラック、スルーラック、ビオフェルミンの核ミサイルを
体内へ向けて次々と発射した。

[略]

ほらみろよ。
用法と用量を守れば私たちの大腸は無敵だ。
体内は平和を取り戻し、大腸と肛門は国交回復。
便秘の負けかと思われた。

しかし見くびらないでほしい。
たかが数発のミサイルで、彼ら便秘がくたばるわけがない。
明くる日もミサイル発射。
また明くる日もミサイル発射。
大腸は冷戦状態に突入した。

ああ、私たちの大腸よ。
平和はまだまだ遠いのです。


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岩永真実

はじめに、私を「詩のボクシング」へ導いて下さった方々と観客の皆様に、心から感謝しています。ありがとうございました。

頭をガツンと殴られるとは、こういう心地でしょうか。初めて参加した「詩のボクシング」は、私にとって快感でした。妄想をただノートに吐き出してきた私は、表現者に程遠い生活をしてきました。リングの上で観客に包まれる感覚も、未知の世界です。うずうず、そわそわ、身をくねらせながら全国大会を迎えました。

人間の話す言葉が、人間を壊したり温めたり突き放したり引き寄せる。自分がそんな言葉を放つ立ち場になることも他の選手の方から届けられる言葉も、全てが衝撃的な出逢いでした。

言葉が、育て方次第で暴力にも引力にも活力にもなり得ることを知りました。これから、またゆっくりと言葉を見つけて、温めて、育てて、誰かに届けてゆきたいです。
by videoartist | 2009-12-11 18:00 | 「詩のボクシング」

高知大会代表の感想より


高知大会代表の坂倉夏奈選手から感想が届いたので紹介します。

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※写真は、準決勝で神奈川代表の吉川詩歩選出との対戦。

坂倉夏奈

全国大会は初めてでしたので、他の選手がどのような形態で参加されるか知りませんでしたし、私なんかで通用するのかとても不安でいっぱいでした。

でも、クラスのみんなが、誕生日と優勝祝いに寄せ書き入りの英語のノートをくれて励ましてくれたり、先生方にも声をかけていただいて、一か八かやってみよう!と思いました。
クラスで二つくらいネタをやったこともあって、「詩のボクシング」自体に興味を持ってくれるひともいて、うれしい限りでした。

そして大会。
実は今回の大会バック席もあるということでちょっとがっかりしていました。
ですが、あまり気にすることはなかったです。
逆に、バック側からしか楽しめない詩の聞き方もあったので、フロントとバックで二回聞くのをおすすめします。(来年からはないそうですけど)
背中で語るとはよく言いますが、表情を背中を通して見ることで、全く違う詩を聞くことができると思います。
暖かい言葉ばかりの詩でも、その人の表情を想像できないような恐怖を感じることがあったり、恐ろしい言葉を叫んでいる中に見えるその人の柔らかい人間性であったり…
ひょっとしたらボクサーにとっては不利な席かもしれません。笑

でも、人によってその作品の解釈ももちろん違うし、お客さん一人ひとりの世界の感じ方があるから、詩は披露した途端に何十倍も増えるんやなと思いました。

「詩のボクシング」は、お客さんがいて初めて成り立つスポーツ?やと思います。

”心に届く言葉”でジャッジする、
すごい難しいやろうなと思いました。

その点で言うと、勝ち負けは運の部分もあるので、あまり勝ち負けにこだわらずにやっていこうと思いました。

「勝ちたいと思ってはならない」
いつもこのことで苦しめられます。
だって、勝たないと次の詩を聴いてもらえない。
でも、勝ちたいと思ったら相手のボクサーに失礼かもしれない。
だって、相手も次の詩を読みたいから、でも…

と、大会前日はかなりうなされていましたが、当日は本当に勝ち負けなど気にならず楽しんでいました。

本当は今まで客電が落ちないのが嫌だったのですが、
お客さんの表情もいきいきしていて、ほんとうに楽しかったです。
お客さんと作っていく舞台なんやな。と。

私までお客さんの側になっていたのもあって、感情移入しすぎてしまいました。汗

私は全部後攻だったのですが、二回戦、斗沢さんの「かっちゃん(お母さん)」の叫びにかなりのどもとまできていまして、あぁ、これでわたしが読むのも最後だなぁと思って力を振り絞って読みました。

ですが、勝ちあがりました。が、その次の吉川さんの「ディズ二ーランドに行きたいの」で決定打でした。涙

上着を脱いで空気を吹き飛ばそうとしたのですが、客席以上に私に大打撃でした。笑

自分の世界にどれだけ引き込めるか、
難しいことなのに、自分が自分の世界に入りきれないと人を引き込めないよなぁ…
と、あたりまえのところで反省しました。

なるほど。これがパンチか。

私は、誰にでも伝わりやすい言葉で詩を書くことをモットーにしています。
その情景を聴いている人が想像できるようにそのまま見せたいシーンを抜き出していて、主軸になる大事なことはあまり言いません。
私が下手にことばにするより、
聴いているひとがそこから何かを感じとるほうがずっと深いことだと思うからです。
たくさんのいろんな人がそれぞれ毎日別々のことを感じながら生きているわけですから、
私のありきたりな言葉は受け取るひとによって、思い出とか、経験とか、リンクするところは違うんやないかなって。

終わったあと、小学生の方から人生の大先輩の方まで、お声がけいただきありがとうございました。
逆にお客さんの生き方にも触れることができて、大変うれしく思います。
もちろん、選手の方も。

そんなたくさんの人たちに、私の世界に触れていただけることは、この上ない幸せやと思います。
by videoartist | 2009-12-08 20:30 | 「詩のボクシング」

11月21日に行われた自作朗読史上初となる団体戦・全国大会は、チームワークを駆使しながら朗読することの難しさと同時にその可能性を示した大会になりました。

団体戦の場の名称を「声と言葉のボクシング」としましたが、これは詩を声と言葉に分解したのではなく、もちろん詩に限定されることなく、言葉を言葉が誕生した元々の姿(あるいはそれ以前の姿)に声によって戻すことを意図したネーミングであると理解していただきたい。そして、その姿での表現を楽しむのが、「声と言葉のボクシング」の場であるということです。

出場チームは、十二分に観客を楽しませていました。アンケートなどによる観客の反応は、好評、いや大好評でした。次回団体戦に多くの期待も寄せられています。

また、今回の団体戦・全国大会を振り返っての感想を出場チームから寄せてもらっているので、これから逐次紹介します。


[香川チーム:木村恵美、海堀賢太郎、エスメラルダ]

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私たちにとって、今回の団体戦は非常に意味あるものになりました。

特に、1回戦のための作品を形にして行く作業と、その結果としての当日の表現の成果は、個人戦とはまったく違う充実感をもたらしました。

個性の違う3人が持ち味を活かしたままひとつの世界を作り上げるには、それぞれの最も読みたいものを持ち寄り、そのまま組み上げるのが一番だという直感に従って原稿を作り、2度目の打ち合わせでは時間内に朗読できるかどうかだけを確認。

内容や表現の細部の変更は各自の作業として当日を迎えました。実際にそれぞれ多忙で、1時間足らずの打ち合わせをかろうじて2度持てただけでしたが、手応えは充分でした。 ご覧になった方にはひとつの完成形を見ていただけたと自負しています。

なぜこんなことができたのか。
今回の香川チームは、3人が互いの特色をはっきりと自覚し、またそれぞれの世界を深く敬愛した所から始まっていたのが、何よりの成功のポイントであったと思います。作り込むことなく、ただ寄せただけでもない奇跡のような調和がそこには生まれました。

「ボクシング」ゆえ、勝敗からは逃れられませんが、朗読時間の終盤、自分の世界に没頭しつつも、するすると一幅の絵が織り上げられて行くのを遠くに感じながら、私は「ああ、この5分間ために東京に来たんだな」と思いました。海掘・エスメラルダ両選手の胸の内は分かりませんが、この上ない形で披露できた1回戦と、エスメラルダさんの神々しいばかりに穏やかでよどみなく会場の隅々にまで染み渡った2回戦の朗 読で、私は満足感でいっぱいです。3回戦に用意されていたそれぞれの作品がまたとっておきのものであったのは、恐らく他県チームも同じことであると思います。

読まれなかったすべての作品と、この日のために各チームで重ねられた充実した時間に、心から敬意を表 します。
by videoartist | 2009-12-05 09:30 | 「声と言葉のボクシング」