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          「詩のボクシング」20周年記念大会より(2017年10月28日)

この20年間を振り返って「詩のボクシング」とは何であったのか、について書きます。

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○「詩のボクシング」とは一体何だったのか

「詩のボクシング」とは一体何だったのか、20年の歳月の中で忘れられかけているかもしれませんが、「詩のボクシング」は”遊び心”の場なのです。「詩のボクシング」を始めた当時、現代詩の閉塞した世界に風穴(これまでの現代詩の流れを文字から声への表現メディアの変換によって切断する通路)を開けることができればという思いもありましたが、それは詰まるところ”遊び心“の実践によってのみ開けられる風穴であったのです。その風穴によって、声のことばによる表現に新たな風が吹き始めたことを感じました。

ちなみに、“詩”と”ボクシング”を結び付けた名前、”日本朗読ボクシング協会”という名称、“声と言葉の格闘技“あるいは”声と言葉のスポーツ”などといった呼び名、これらも”遊び心”なしには生まれなかったのです。そして、「詩のボクシング」の場を試行錯誤しながら具体化することによって、声と言葉が織り成すこれまでにない表現を見つけ出すことになったのです。

“遊び心“は、心に余裕がなくては生まれないという人もいますが、わたしは逆に「詩のボクシング」の場を通して心に余裕が生まれればよいと考えていました。だから、「詩のボクシング」は楽しく、面白く、さらにいえば言葉で笑いを作れる場であってほしい、いわゆる詩でなくてもいい、そういったユーモアに溢れた場になってもらいという思いが当初からあったわけです。

ところが、この”遊び心”を理解できない頓珍漢な言葉で「詩のボクシング」に対して物言う人たちがいました。一例として挙げれば、詩で勝ち負けをやってはいけないとする人たちによって、この”遊び心”は容認できない邪道にすり替えられてしまったのです。だから、わたしにしてみれば頓珍漢なのです。他にもありもしないことをさもあるように発する頓珍漢な言葉もありました。

そういった頓珍漢な言葉は、「詩のボクシング」がテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスメディアで多く取上げられたが故の副産物でもあるのでしょう。ただ、この副産物は不味くて味わえるものではありませんでした。ところがです、その一方で沈黙の副産物が生まれていたのです。この副産物は実に美味でした。ちなみに、20周年記念大会に出場してくれた人たちは、その沈黙の副産物の賜物だったのです。

20周年記念大会では「『詩のボクシング』の先へ!」と題しロボットのPepperに朗読させる「詠み人知らず」、「作者不詳」の詩を募集しました。この狙いは、Pepperのような人型をしたロボットが非常に人間くさい人間味のある言葉を声にすることによって「人間が人間を素直に受入れ、人間をいとおしく感じられる」のではないかという“遊び心”によるものでした。このことは、人間とは何かを生身の人間ではなく人工知能とロボットによって教えられる時代が近づきつつあることに関係しています。

では、「詩のボクシング」そのものはどうなるのか、なくなるのか、なくならないのか、一体全体どうなるんだと気遣ってくれる人もいると思います。

答えは決まっています。なくなりません。何年か後、何十年か後に大会をどこかで開くか、あるいは大会がどこかで開かれるかも知れません。いや、突然来年ということもあるかも知れません。

もちろん、その他の可能性もあります。わたしが今考えているのは、日本の離島に行って「詩のボクシング」をやろう、というものです。「詩のボクシング」人口も年々過疎化しているので、過疎化している離島で「詩のボクシング」を行うとどうなるのか。多くの人が「そんなことをしてもどうにもならないよ」と思うでしょうが、しかしながら”遊び心“、は、つまりユーモアによって厳しい事態に直面している状況で、その状況認識を別の形に読み替え、どうにもならないことをどうにかしてしまう可能性を秘めているから面白いのです。過疎化の意外な面の発見に繋がるかも知れないのです。

例えばですが、小笠原諸島の父島、山形県の飛島、沖縄県の与那国島、波照間島(これらはわたしが訪れた離島ですが)、その他の離島で「詩のボクシング」ができる日が来ればと思っています。そこでは”詩で表現された夕日”vs.”目の前で沈み行く自然の夕日”という番外編の対戦も組んでみたいですね。

最後に繰り返しますが、「詩のボクシング」は”遊び心”の場なのです。ですから、「詩のボクシング」という形を全く変えたものになっているかも知れません。

日本朗読ボクシング協会
代表 楠かつのり

by videoartist | 2017-12-24 09:59 | 「詩のボクシング」